「人類学の視点から、保育の原点・可能性を探る対談〜」スコラルーム イベントレポート
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2024/10/18
社会福祉法人東香会では、自らの学びを社会に開き、法人の内外に関わらず保育や子どもに関わるあらゆる方々に向けた様々な形の研修をより広範でしなやかな対話と体験の機会を通して、多様な文脈の中での実践知を育み合いながら、学びを深めています。
この社会と学び合う取り組みの一環である、保育の自由研究セミナー『SCHOLA GARDEN(スコラ・ガーデン)』のスピンオフイベントとして、トーク&ライヴ主体のミニセミナー『SCHORA ROOM(スコラ・ルーム)』を2024年8月28日に渋谷東しぜんの国こども園の子育て支援スペース「BUTTER」で開催しました。
当日は、ceroのメンバー・髙城晶平さんによるソロライヴパフォーマンスをはじめ、著書「はじめての人類学」などで注目を集める人類学者・奥野克巳さんと、東香会理事長の齋藤紘良による対話の他、3人による鼎談も行いました。
街に開かれたストリート沿いの空間で、対話型講座と音楽ライヴを組み合わせたプログラムを展開し、子どもと街、保育と社会、野生と文化…等さまざまな要素が交錯する実験と発見の一夜となりました。
本レポートでは、人類学者の奥野克巳さんと東香会理事長の齋藤紘良の対談「はじまりの保育と人類学」の様子を一部抜粋してご紹介します。
登壇者
奥野 克巳 おくの かつみ
立教大学 異文化コミュニケーション学部教授。1962年生まれ。20歳でメキシコ・シエラマドレ山脈先住民テペワノの村に滞在し、バングラデシュで上座部仏教の僧となり、トルコのクルディスタンを旅し、インドネシアを一年間経巡った後に人類学を専攻。1994~95年に東南アジア・ボルネオ島焼畑民カリスのシャーマニズムと呪術の調査研究、2006年以降、同島の狩猟民プナンのフィールドワーク。著作に、『これからの時代を生き抜くための文化人類学入門』『絡まり合う生命』『マンガ人類学講義』『モノも石も死者も生きている世界の民から人類学者が教わったこと』『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』『人類学者K──ロスト・イン・ザ・フォレスト』など。共訳書に、エドゥアルド・コーン著『森は考える』、ティム・インゴルド著『人類学とは何か』など。(ちくまウェブより引用)
齋藤 紘良 さいとう こうりょう
1980年生まれ。しぜんの国保育園などを渋谷/世田谷/町田/相模原で運営する社会福祉法人東香会(とうこうかい)理事長。寛永6年(1629年)に建立された簗田寺(りょうでんじ)の副住職、楽曲提供やバンドCOINN(コイン)で活動するプロミュージシャンなど多彩な顔を持つ。専門は子どもが育ち暮らし老いて死んで次に向かうための環境や文化を考えること。発表音源に『narrative songs』(CD,spotify etc.)、著書に『すべて、こども中心。』(KADOKAWA)などがある。
人類学の視点から、現在の保育を捉え直してみたい
紘良:
今回「はじまりの保育と人類学」という大それた題を掲げましたが、人類学とはなんぞや?からお聞きすると共に、私たち東香会が日々行っている「保育」とはなんぞや?を少 しずつ明らかにできたらと思い、テーマとさせてもらいました。
「人類学の視点を通して、保育を捉え直してみる」という試みですが、僕自身、子どもの「群れ」の中で日々大半を過ごしていて、子どもの感性から見えている世界は、人類学のフィールドワークから語られるアニミズムとなんとなく世界観が似ている気がしていて、それが何でだろう?と思っていました。
そこで気がついたのは、子どもたちが基本「稼ぐ」ということをしておらず、資本主義の 概念で生きていないということです。それであれば、資本主義ではない世界から学んだほ うが、子どもの生活、つまり保育を学ぶにはナチュラルなのではないかと思い、今回、人 類学者である奥野さんにお声がけさせていただきました。
奥野さんの著書に出てくる「感謝」「反省」「所有」という概念を持たない、マレーシアのボルネオ島プナンの人たちの世界観は、子どもたちの生活と似ていると僕は思うのですが、そもそも人類学とはどのような学問なのでしょうか?
奥野さん:
手短に説明しますと、人類学は、人類を研究します。人類=人間ですね。
人間をどういう観点から研究するかというと、大きく分けると2つあります。1つは自然的な存在で形質の頭の形、肌の色など。もう一方は文化的な側面ですね。この2つを含んでいて、その両方が融合した文化をもつ人間の研究が文化人類学です。
文化人類学の歴史について大まかに説明しますと、ヨーロッパの人たちが異文化に出会った最大の契機というのが、現在から500年以上前の15世紀末から始まった大航海時代にあります。アメリカ大陸・アフリカ大陸などを発見してヨーロッパの人たちが世界中にちらばって様々な人間に出会ったことでした。
そこからだいぶ時間が経過し、文化人類学が始まったのは今から約100年前になります。その時代は、第一次、第二次世界大戦と大きな2つの戦争がありました。特に第一次世界大戦(1914–1918年)ではヨーロッパで850万人が亡くなったと言われていて、これがヨーロッパの人たちが生きづらさを感じはじめた最初の出発点だろうと言われています。
その時にどうしたのかというと、ヨーロッパから離れて、未開地、非西洋でフィールドワークに出かけていき、大体2年ほど滞在して、現地の言葉を習得するんですね。寝食を共にしながら、異文化の人たちがどう暮らし何を考えているのか世界観を記録していったというのが、大まかな文化人類学の概要です。
頭の中だけの学問から、フィールドワークを通した学びへ
紘良:
大航海時代から300年ほどを経て、大きな戦争を経験したのが、100年あまり前という流れですね。今のお話では1920年頃の人類学はフィールドワークを中心としてきたと思うのですが、大航海時代との学問とどう異なるのでしょうか。
奥野さん:
15世紀末当時は、宣教師たちがキリスト教を広めていった記録の航海日誌がヨーロッパにもたらされ、未開地の文化の在り方が徐々に伝わっていきました。これが学問の出発点で、ある程度体系化されたのは19世紀です。当時は宣教師の航海日誌や東方見聞録などの記録を参照する、頭の中で論理的思考のみで考えていた、いわゆる思弁的な学問の時代でした。
そこから科学が進歩し20世紀になると、飛行機が作られたり、戦争も合理的な形で殺戮をするようになりました。第一次世界大戦後の1920年頃、フランスの著名な詩人・批評家であったポール・ヴァレリー(1890−1945年)が「ヨーロッパは戦争さえもコントロールできなかった、敗北である」と振り返りました。そういう時代にヨーロッパの外側に出ていって、人間性の研究をしはじめたのが文化人類学のはじまりです。
そういった時代を背景に、ヨーロッパ以外の場所で20世紀のフィールドワークにおいて何をするかというと、人々が行なっているあらゆることに参加し、現地人になって観察し、文化がどのようにできているのかを明らかにしていきました。
紘良:
保育に関しても、ちょうど同じ時期に子どもたちという存在を一方的な大人の目線で理解するのではなく、子どもたちの目線になって内側から理解していく考え方が出はじめました。100年経っても浸透はしていないのですが、保育の世界と人類学がリンクしているように思えます。
「ありがとう」も「ごめんなさい」も存在しないプナンの人たちの思考
紘良:
奥野さんが文化人類学の研究を行っているフィールドワークについて教えていただけますか?
奥野さん:
私がフィールドワークに訪れている場所は、マレーシアのボルネオ島の北西部の海岸沿いにあるサラワク州にあり、そこに狩猟採集中心の暮らしを営む「プナン」という人たちがいて、その地にかれこれ19年通ってます。新型コロナウイルスの影響で3年間行くことが出来ませんでしたが、研究をはじめた当初の2006年は現地で一年間暮らしていました。2007年以降は、コロナを除いて春と夏に年2回ずつ訪問し、フィールドワークを行ってきました。
赤点線箇所がマレーシア ボルネオ島 サラワク州
紘良:
現地で共に生活することで、気がついたこと、特徴的な世界観やエピソードを教えてもらえますか?
奥野さん:
プナンでのフィールドワークをはじめて来年で20年になりますが、なぜ私がプナンへ行き続けているのかというと、単純におもろいんですね。見た目は我々と変わらない、少し小柄な人たちで、Tシャツ、サンダルを着用しているマレーシア先住民で、米、ラーメン、缶詰等を食べています。
しかし、精神性においては圧倒的な他者と言わざるを得ません。
いくつかあげますと、プナンには「ありがとう」という言葉がありません。感謝の気持ちもそもそもない。言葉がないだけではなく、感情レベルで感謝の気持ちがないんです。
ちなみに「ごめんなさい」という言葉もありません。謝るという行為もないし謝罪の観念もないのです。
謝罪の観念について考えてみると、プナンの人たちは時間軸に対する考えが薄く、過去に関して思い悩まず、何かやったことに対して自分が悪いと思っていないから謝罪しません。
時間の観念が薄いということは、逆に言うと、未来に対して何も考えていないということになります。例えば日本では子どもに対し「将来は何になりたいの?」と聞くことがありますが、同じ質問をプナンの人たちに聞くとポカンとしています。未来のことを考えていないのです。
私たちは日本という国や現代社会で暮らしていて、全く考えないことを逆に考えさせられるんですね。
紘良:
もともと感謝や謝罪の気持ちを持ち合わせていないとか、時間軸の観念が薄いプナンの人たちは、子どもと似ていますね。
奥野さん:
私も、そう思います。
紘良:
無理やり「ごめんなさいして」と反省を促して終わることが世間にはあると思うのですが、内心子どもたちは全く納得していないような気がしていて。「ごめんなさい」という言葉を発しただけで、不穏な空気から逃げられるからということもありそうです。
奥野さん:
立派な大人として取るべき態度として、何かを壊してしまったら「ごめんなさい」と言わないといけない。また、何かをしてもらったら「ありがとう」と言わなければいけない。そういうことを言った方がいいと大人から子どもへ教えられることによって、それが広がり態度となっています。
紘良:
今の話を聞くと「ごめんなさい」や「ありがとう」はある意味儀式的にも感じます。プナンの人たちは怒る感情はあるのでしょうか?
奥野さん:
怒りの感情はあります。プナンでは、家族が密な距離感で日常を過ごします。あまり働かない人たちで、親子だけではなく、おじいさん、おばあさんらと24時間一緒にいて密に生活するので、家族間でケンカやいさかいがしょっちゅう起きます。暴力は振るわないんですが、自分の父親に対してもズタズタになるまであらゆる言葉を尽くして罵り「お前は間違っている!」と唸りながら怒ります。そうすると相手もカッとなり、これが2〜3時間、長いときは4〜5時間もの間激昂しています。
その様子を周りのみんなも見ていて、全ての考えがあからさまになるんですね。おそらく私の考えるところでは、ヘトヘトになるまで口論し、相手を罵倒し尽くすと、怒りの感情が全て発散され、カタルシスを迎えます。そうすると次の日にケロッとして、もうどうでもよくなる…最終的に電池切れ、ネタ切れという事ですね。これを真似できないかなぁと思うんですよね。
紘良:
ある意味プロレスみたいですね…。子どもも、もし大人がケンカを止めなかったら、罵倒し合ったり、力尽きるまでやり合って、次の日はケロッとしてるはずですよね。
奥野さん:
やはり親子でケンカしても24時間一緒にいますので、なんとかやっていかないといけないというところに立ち戻ります。仲直りをしないと食べていけないこともあって、周りの人に諌められることもあるんですが、この一連の流れが平準化している様子が今でも見られます。仲直りそのものもケロッとしているように感じます。
工夫しながら共有社会を作るプナン
紘良:
プナンの人々の「シェアする」感覚が、奥野さんの本を読んでいて印象に残っています。プナンの所有に関する概念について教えてください。
奥野さん:
私たちの社会はあらゆるものが個人所有で成り立っています。例えば、靴下、時計は私のもの。誰かからもらったもの、自分でお金を稼いで購入したもの。一方、プナンは個人所有を否定して、共有・シェアリングする原理で動いています。
一つ、エピソードを紹介すると、彼らに個人所有の欲望はないのかというと、そういうことではありません。
私が現地で幼い子どもに対して飴玉を20個あげたところ、その子は独り占めしたい気持ちがあることが分かりました。そこに、2人の兄、姉が飴玉を欲しそうな顔をしていて、そこにお母さんが来て分配しなさいと言い、飴を分けることになりました。個人所有の欲望というものを人間は本質的に持ち合わせる中、プナンのしつけでは個人所有の欲望を否定します。それは全員で物を共有する仕組みを作り上げているからです。これはある意味本音と建前を分けていることになります。
なぜこういったことが必要になるかというと、例えば、ヒゲイノシシを狩りで持ち帰ったときは全員で分配します。自分達の狩りが上手くいかない時に、別の家の人に分けてもらうという全員が生き残るシステムを作り上げているのです。そのようにして彼らはあらゆるものを共有しています。
男女の関係は個人所有が基本ですが、それ以外は全て共有で、私たちが持ち込んだ段ボール箱に入ったラーメンももちろん共有物となり、知識、技能、技術も共有されます。
その観点でいうと、日本人は子どもに対して、子どもが欲しいと言えば20個の飴を与え、別の子にも20個の飴玉をあげる。そうすると、個人所有欲を掻き立てて、私たちの社会を成り立たせます。次に一人一人に対して個人所有としてのおもちゃを与え、次に、バイク、車…と発展します。私たちの社会においては知識も個人所有の概念に当てはまります。教育機会が多いか少ないか、良い学校に入れたか、良い会社に就職できるか、資格をとるか…等、専門家集団を中心におく社会が成り立っているのです。
プナンの場合、「未開社会」で現代社会と考え方とは全く違いますが、工夫しながら社会を作り上げています。そのことにより個人所有を社会的に否定しながら生きているということになります。
紘良:
それはやはり、ある意味意識的に自分たちの生活の中で、こうした方が生きやすいと判断し、選択しているのでしょうか?
奥野さん:
これは、人間として、無意識のうちに誰かがこうしようと考えたからやっているのではなく、文化の中で鍛え上げられた考え方「野生の思考」に当てはまると思います。野生の思考は、主体的につくりだしたものではなく、社会の中に古くから伝わっていて、そのやり方が自分たちに与えられていることで成り立つ思考ですね。これは人類社会において基本的に持ち合わせているものだと言われています。
保育を、子どもを育てるだけでなく、社会全体を見直し、新たな価値観を共有する場としていきたい
紘良:
長年保育に携わってきた僕から、保育に関して提言があります。
保育は「育てる/育てられる」「教える/教えられる」など、関係性で成り立つ共同体だと考えられてきたのですが、多くの学者から「子どもにとっての幸せを実現される場」として 保育が語られているのです。僕はその発想をひっくり返したいと思っていて。むしろ、子どもたちの思考が原住民の方々との思考が近いのであれば、彼らの世界観をよく調べて、子どもたちの生活とどういったところが合うのかと考えてみることで、僕らが生きづらいと思っていることが、保育園など子どもが集まる場で、いまの現代社会で実現できない、幸せが広がる空間に保育の園(その)が成り得るのでは?と思うのです。
つまり、保育の場に来れば、現代社会で幸せになれない人が幸せになれるのでは、そして、保育の場が貴重な場所として扱われていくのではないかと思っています。僕の発想の転換、保育に関する捉え直しの提言について、人類学を研究されている奥野さんはどう思われますか?
奥野さん:
なかなか大きな問いかけをいただきましたね。お話を聞いていて、ティム・インゴルド(1948年〜)という人類学者の著書にある教育論の章を思い出しました。その章の中で、ハンナ・アーレントという哲学者が言った「教育は、責任ある大人が子どもに対し知識を伝達するべきである」に対し、インゴルドは真っ向から批判する、という成り立ちがこの本の中にあるのですが、「責任ある大人が存在する」というのはある種の幻想であり、私たちが迎えている今日の社会的な危機、環境的な危機を含む複合的な危機を考える上で最も重要な問題は世代論だ、と彼は言っています。
彼の言う世代論は、日本でも度々話題に上るZ世代等も視野に入れていると思うのですが、10〜60代の働き盛りについて「現役世代」という考え方がありますね。この考えでは、現役世代がやがて高齢者世代になり、取って代わられ、その後は若者世代が台頭するということを私たちは繰り返してきました。現役世代は教育やさまざまな訓練を経て、社会の中心に位置づけられているという考え方です。そこに次の世代を育てなければいけないといった見方が組み込まれていて、それが近代社会の大きな問題だといっています。そのことをひっくり返していかないと社会的、環境危機は防げないという考え方です。
端的にいうと、その考え方をしないのは、先住民の人たちです。それが人類学では重要になるわけですが、先住民は、そういう「隔て」をつくらなかったんですね。働き盛り、老齢者、次の世代を担う若者、これがあざなえる縄のように強度をもって結びついているのです。
プナンでは日常的に子どもも、大人も、おじいさん・おばあさんも皆で川に行き、洗濯、食器洗い、水汲み、遊び等を行います。子どもとおじいさん・おばあさんは一緒に泥遊びをしたり、投網をして魚を捕まえたりして、全ての活動が一体化しているということだと思うんですね。その一体化した中ですべての活動が行われているイメージです。
紘良:
そのイメージはとても分かりますし、僕の考えているイメージに近いし、求めるものですね。川の中に老若男女が別の時間を持ちながら、そこで一体となって過ごしている。混ざり合いもあれば、ぜんぜん違う方向を向いている人もいて。でも、その場は一つになっている。理想とするイメージです。
奥野さん:
これを教育は、「世代」という考え方を含め分断する側面があり、社会で活躍する専門家集団である現役世代が枯れて世代交代していくわけですが、来るべき世代を教育しないといけない、この繰り返しで成り立っているのが我々の現代社会なんですね。これをどう解体していくのかということは、いま齋藤さんがおっしゃった提言に近いのではないでしょうか。
つまり、大人が子どもに対し何かを教えるということではなく、大人も子どもも高齢者も一体化しながら活動している在り方を指します。
先ほど渋谷東しぜんの国こども園で保育の様子を拝見しましたが、年齢別にクラスを分けていませんでした。また、先生たちも子どもたちが遊んでいることに参加しながら活動していくように見えたのですが、それはまさにプナンの暮らしととても似ているように感じました。
紘良:
最後にお伺いしたいのですが、プナンの子どもたちは幸せそうですか?
奥野さん:
子どもたちだけでなく、大人も幸せそうです。なぜ幸せそうかというと、自然のリズムに合わせて生活しているからだと思います。
2月〜3月頃の朝、上空でものすごく大きな音がしたのですが、それは大ミツバチが移動している音でした。花蜜を求める大ミツバチの移動の様子から、花の季節が訪れることをプナンの人たちは知るんですね。そして狩猟の準備を始めます。花の季節の後には果実が実り、鳥や猿などの動物が果実を食べに集まります。そうすると森が楽園になる。それを目掛けてプナンの人たちは狩猟にいく。そういう風に暮らしてきました。彼らにとっての幸せは森の中で暮らすことなのです。
それが2年前からWi-Fiと電気、スマートフォンが普及しはじめ、彼らの生活に変化が訪れました。スマホは電気代がかかるので働かないといけない。自然のプロセスの中での暮らしから賃労働にいくようになります。今後どうなるかわかりませんが、スマホを中心とした生活では電気代が必要で、駆り立てられて仕事を行うようになるかもしれません。
いずれにしても、現在時点では、彼らはとても幸せそうです。子どもだけでなく大人も、下ネタばかり言って笑っています。下ネタを言ってるときは誰でも幸せそうです。笑
紘良:
人類学の奥野さんとの対談の中で、保育と人類学は、色々な共通点の発見があったように思います。そして、保育と人類学がより深く結びつくことで、保育もより深まっていくのではと思います。ありがとうございました。
続いて、「宇宙・自然・街」をテーマに鼎談
左から、司会の安永・奥野克巳さん・髙城晶平さん・齋藤紘良
髙城晶平さんによるソロライヴパフォーマンス
スコラ・ルーム ディレクター 藤村より
チケットがソールドアウトした直後に台風直撃の予報が出た時にはハラハラさせられましたが、予報ははずれて無事に開催できて本当に良かったです。
普段は渋谷川沿いの小さな「路地裏」として、子どもたちやその保護者、または地域の方々が行き交うsmall alleyですが、この日は各地から初めましてのお客さんが沢山いらっしゃったと共に、系列の各園の方々も混じり合って…さながらスコラ・ルームは皆を乗せて「知」の探検へと連れ出してくれるクルーズ船のような場でした。
渋谷東しぜんの国こども園で一調理師として働く私ですが、長い間音楽活動をしていた関係で旧知であるceroの髙城さんをお呼びすることができました。そんな髙城さんとsmall alleyの仲間たち、各園の皆様、来てくださったお客さん、そして人類学者である奥野さんと紘良さん。古い仲間から新しい出会いまで、全て渾然一体となってあの場が出来上がったことへの静かな感動が今でも僕の胸の内にあります。
これからもスコラ・ルームで新しい探求ができる場を生み出していけたら最高ですね。次回も楽しみです。
次回は、2025年1月に開催予定です。
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