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しぜんの国保育園旧園舎の再活用【後編】~懐かしさとこれからと

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2022/12/16

東香会が運営する東京・町田のしぜんの国保育園の敷地には、東香会設立当初の1979年から2014年まで子どもたちが過ごしてきた旧園舎が残っています。このたび改装を行い、「子育てひろば」と月に一度の「しぜんの国食堂」をスタートしました。

里山の傾斜を活かした2階建の園舎には、趣のある雰囲気が残っています。今回の工事では、積み重ねてきた時代の面影や痕跡を残しながら一部を改修しています。当時の木材をサインや什器に再利用したり、床に里山の土を混ぜた材料を施したりと、すべて新しくするのではなくあえて残す部分はそのまま残す手法をとりました。

11月に法人内職員に向けた内部向け事業共有の会を開き、関わった関係者が事業への想いを述べ合いました。

【前編】はこちらからご覧ください。


東香会 総務理事 簗田寺住職 齋藤謹也

旧園舎にひさしぶりに入って、「ああ、こうだったな、ああだったな」とあらためて思い返しました。基本的なところは保ってくれていて、なおかつ、それを今後にどう活かしていくのかを考えてくれていて、ありがたく感じています。

わたしが最初に、ここに園舎を建てるために申請を出したのが昭和53年(1978年/社会福祉法人東香会は同年に設立)で、翌年4月に開園しました。このように坂になった土地なので、「谷間に保育園を造るのは難しいのでは」と担当職員から言われましたが、わたしの中には「必ず造ってみせる」という強い想いがありました。

役所は、丘の土を崩して谷間に埋めて全面を平らにしてから、その上に保育園を建てると考えていたようです。しかし、当方では本来の土地の形状を活かした建築を計画していました。丘の形状が残るように土地を3段階にして園舎を建てて、一番深いところを園庭にしました。現在新園舎が建っている場所は、自然の中で子どもたちが遊べるように緑をそのまま残しました。

その計画が目に見えるのが、今わたしの後ろにある階段です。この階段を作りたいがゆえに、町田で一番きれいな階段を造ることができる意匠設計士を探しました。階段と踊り場をプラットフォームにして、子どもたちの劇をやりたいと思っていました。

中央にはガラス張りの中庭がありますが、そこには巨石を置きたいと考えていました。北大路魯山人から号を授かった高木石童子(高木辰夫)の作で、わたしが山梨県塩山まで出かけて選んできたのがここにある石の作品です。仏像を置くと宗教色が強すぎるので、李氏朝鮮時代(1392年〜1897年)の文人の石造物もいくつか設置しました。

当時の保育定員は83名でしたので、狭い面積の中でいろいろと工夫をしました。中2階にしてそこでも昼寝ができるようにしたり、引き出し型のベッドを造作したりしました。そのベッドはわずか2年で壊れてしまいましたが。

このように試行錯誤を繰り返しながら、この園に夢を描いてきました。それをまた、受け継いでくれることが嬉しいです。個人の想いだけでなく、多くの人々が関わって、ここに記憶を残してもらうことが大事だと思っています。

子どもたちが、いろいろな夢を描いて、それを少しでも実現していってくれればと考えています。

学校法人 正和学園 理事長 齋藤祐善

わたしは、しぜんの国保育園の第1期生(1979年入園)でもあるので、この旧園舎と関わり始めたのは5歳のころです。ひさしぶりに足を踏み入れて、いろいろな想いが込み上げています。ここを卒園して、近所にできたばかりの山崎小学校にも1期生として入学しました。生まれたばかりの紘良さんが職員室に置かれたベビーベッドに寝かされていて、わたしは小学校の帰りに立ち寄っていました。それが一番昔の旧園舎の思い出ですが、大人になってからはここで副園長をやらせてもらいました。

副園長の当時は町田市の子どもの人口が急増していく時代でした。それに対応できるように定員を増やしたくて、先ほど【前編】で、スピーチしていただいたナフ・アーキテクト&デザイン有限会社 中佐昭夫さんと保育スペースを拡張していくための相談を重ねていました。壁を壊して大きな部屋を作ったり、廊下にトイレを作ったり、といったことに繰り返し対応していただきました。そんな思い入れのある場所なので、また、次の時代がここで回り始めるということが嬉しいです。

この旧園舎ができたころから、東香会で必ずやり続けようといわれてきたことがあります。それは、「地域支援」や「いろいろな人々を巻き込もう」ということです。できるだけいろいろな人々を巻き込んで、関係人口を増やしていき、つながりを広げていくこと。そこを入り口に、子どもの文化を発信していこうという考えです。そのようなことを昔から言い続けてきて、現在まで受け継いできました。いま、時代的にもそのようなアプローチが求められる風潮にもなってきました。

子どもの人数が今後も少なくなっていく中で、これからの保育所の在り方も変わっていくでしょう。そんなときに「きゅうえんしゃ」のような場があって、昔からの場所をもう一度再生することが、もしかしたらとても新しいことであって、つながりをもう一度再生することなのかもしれないと感じています。

この新しい保育の時代に、ぜひ「きゅうえんしゃ」を縦横無尽に使っていただいて、地域の中で子ども文化をより発信していっていただければと思います。世界中のいろいろな文化を持つ人たちが集まって、この地域の人たちと出会えるプラットフォームとして「つながりの起点」となってくれることを期待します。ぜひ、みなさんが支えてあげてください。わたしも何か一緒にできることがあればお手伝いします。

しぜんの国保育園 園長 齋藤美和 

わたしがはじめて保育と出会ったのが、このしぜんの国保育園の旧園舎でした。その当時から「子育てひろば」を大切にしていて、ご家庭で子育てをされている方に向けた、親子が過ごすことができる場や催しを提供しています。わたしは20代前半のころに子育てひろば担当職員とて働き始めました。

そのころ同僚に、「早く歳をとって保護者よりも年上になりたい」と言っていたようです。現在は保護者の方たちの歳を超えているわけですが、当時は「早く経験を積みたい、早く成長したい、大きくなりたい」と思い続けていました。子どもたちと暮らしながら、成長したい気持ちがむくむくと湧いてくるような保育園だなと、ずっと感じていました。

当時園長だった紘良さんを傍で見ていると、苦悩とか葛藤を抱える姿もたくさんありました。そんなとき、しぜんの国保育園の園長を歴任された齋藤美智子先生に「苦労しないと、葛藤がないと良い園長になれない」と言われたことをよく覚えています。
いまこうしてみると、一緒に考えられる仲間が増えていて、歴代の園長たちが築いてきた道の後ろにつづく仲間がたくさんいることを誇らしく思います。やはりやりたいことに一つ一つ取り組んで仲間が増えていくのだなと感じます。

懐かしさを感じるだけでなく、わたしたちが懐かしい場所を作っていくのがこれからなのかなと、今日のみなさんのお話を聞いていて思いました。

園長をしているわたしの後ろにはたくさんの守護神がいるのだな、とあらためて感じて幸せです。これからも「伸びやかに、しなやかに」に、保育者のみんなと一緒にやっていきたいと思います。

竣工のお祝いの席では酒樽を開ける「鏡開き」が一般的ですが、おいしそうなクッキーを小槌で割る「クッキー開き」が行われました。

会場装飾のお花は渋谷東しぜんの国こども園の元保育士が営む「花綵 hanazuna」によるものです。

施設見学の時間には、CONZEN COFFEE が振る舞われました。