
しぜんの国保育園small villageの10年間を振り返る(後編)
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2025/05/21
町田市忠生地区にあるしぜんの国保育園の新園舎small village(スモールヴィレッジ)の竣工から2024年で10年が経ちました。これを記念して、東香会の職員や関係者を招き、この10年間を振り返る記念イベントを行いました。
円を描くように置かれたイスに、まずは新園舎small villageの建築を推進した社会福祉法人東香会 理事長の齋藤紘良と、建築を手掛けたナフ・アーキテクトアンドデザインの中佐昭夫さんの二人が腰かけてのトークセッションからはじまりました。その後、二人の周りに加わっていったのはsmall villageの保育に携わってきた職員や理事たち。新園舎ができたことによる保育のエピソードや、関係性が深まった今だからこそ話せる当時の素直な心境を振り返りながらのトークとなりました。
後編では、前編で登場した4名に加え、保育統括理事の青山が司会となり、旧園舎時代からの職員や、新園舎が軌道に乗ってから入職した職員、各園長が加わりました。
これまでの保育を分解するために必要だった新園舎
青山誠(保育統括理事)
私が初めて紘良さんに会ったのは、「りんごの木」で保育者をしていた時でした。紘良さんがメンバーのチルドレンミュージックバンドCOINNの楽曲を聴く場があり、大豆生田啓友さんを通して紹介されて…という流れです。
今回話を聞いてみたいのが、旧園舎から新園舎への保育の変化は、勢いだけではできない勇気のいることだったと思います。具体的にどんなことを考えていたのでしょうか?
紘良
気を使わずに言ってしまうと、旧園舎時代の保育にずっと違和感を抱いていたのです。例えば、日々の生活を遮るように行事がありました。当時取り組んでいた劇は、練習が12月頃からはじまり2月に発表していました。その間、たとえ雪が降っても、外遊びをせず大人が計画した通り劇の練習をしていました。そういう保育を分解し、身体を変えるための場が必要だと使命感をもって新園舎の建築を強く推し進めていきました。
青山
旧園舎は総務理事先生が理事長だった時代からの伝統があると思いますが、それを引き継がず、あえて分節、分断、断絶をしているのが興味深いと思いました。保育園というと木の雰囲気を感じる園舎が多いですが、small villageの白い壁は保育園では一般的ではありませんよね。
紘良
当初、壁の色の案は全て白ではなかったんです。別の色も考えていたけれど、どこかしっくりこなかったんですよね。むしろ子どもたちが汚したり壁が剥がれていく方が、その建物の特徴をつくっていけるような気がして、最終的に白に決まりました。

日常の保育を大切にする保育へ。当時の職員の心境は
青山
建物が変わって、保育内容も変えていくときには色々な摩擦やズレが生じると思います。今までの保育はダメだと思って保育するわけですよね?しかも今までの保育の記憶や経験がある人たちがいるのは、ある意味しんどい状況だったと思いますが、どんな気持ちで保育をしていたのでしょうか?
上島(しぜんの国保育園 保育者)
僕は入職後、旧園舎での保育を1年経験してから、新園舎で新しい保育にチャレンジしていきました。旧園舎時代の劇はむしろ好きでした(会場:笑)。紘良さんは「疑問を持て」と投げかけてくれますが、入職したばかりの僕はそれまでの保育に乗っかる方が楽だったので「なぜ保育より行事を優先するの?」と問われた時はハッとしましたね。
今だから言えることですが、新園舎で保育が変わり、自分の中で不安に思うこともありました。でも実際に子どもたちと一緒に日々を過ごしてみると、こんな保育もいいなと思えてきて、だんだんと慣れていきました。
鈴木(成瀬くりの家保育園 マネージャー)
私も旧園舎の時から保育をしていました。紘良さんが感じていたように、外で雪遊びができないのを残念に思っていたので、紘良さんの「日常をどれだけ大事にできるか」という言葉がスッと入ってきました。行事に対してマイナスなイメージを持っているわけではありませんでしたが、せっかく雪遊びできるチャンスなのにもったいないなぁと。
新園舎になって間もない頃、紘良さんに「なぜ、こんなに広くて見晴らしが良い廊下で遊ばないの?」と聞かれたことがあり、「遊びは保育室でするもの」と決めつけていた自分に気がつきました。大人も子どもも思いのままに一緒に過ごすことで、大人が制限したり指示するのではなく子どもたちがやりたいことを叶える保育につながっていったのかなと思います。
越丸(しぜんの国保育園 保育者)
私は、新園舎にお引越しして保育がある程度落ち着いた頃に入職しましたが、しぜんの国の保育に対して大きな疑問を持つことはありませんでした。しぜんの国の保育者は受容的な人が多いです。子どもに対してだけでなく、大人に対してもその懐の深さが広がっていることを感じます。
青山
確かにしぜんの国の職員は受容的ですよね。ただ受容といっても色々なニュアンスがあって、その時々の変化に対して、人は一旦、不安になります。はじめは攻撃性が出て、変化への不安を感じたりショックを受けることが多いです。
紘良
今だから話せますが、青山さんが来られた2017年頃は保育が混沌としていました。理想とする保育や思いがなかなか伝わらず、私の言うことがよくわからないという人もたくさんいたと思います。混沌としている中でも面白いことをやっているという舞い上がった思いも同時にあったところに、青山さんに核心を突かれすごく辛かったことがありました。
家に帰って冷静になって、今までやってきたことは、過程があってこそではあるけれど、積み上げてきたから良いというわけではないなと、気がつきました。
青山さんが言うように二項対立せずやってみよう、シフトチェンジして新しい自分に出会いたいと思いました。そこから東香会の保育に関して説明がつくようになったし、職員のみんなが納得がしやすい選択肢が増えたように思います。
青山
そんなこと言いましたっけ?全然覚えてない…(笑)

しぜんの国キッチンの職員による特製バーガーやケーキが振る舞われました
渋谷と世田谷に新たな施設を立ち上げ、ののはな文京保育園にも変化が
青山
私はその後、世田谷区の上町しぜんの国保育園(small pond)の園長となることが決まりました。中佐さんに園舎の設計を考えていただいたのですが「園舎なんて要らないです。掘建て小屋で良いです。」と言って困らせまして…「そう言うわけにはいきません。」ときっぱり言われましたね(笑)small pondの園舎が2019年のグッドデザイン賞を受賞しましたが、その時の中佐さんのコメントでも「保育園なんて本当はいらないと言われた」と書かれていました(笑)
紘良さんのように建築に対して想いがある人もいれば、私のように掘建て小屋で良いという人もいる法人で、振り幅があって面白いとおっしゃっていただきましたね。
さて、ここからは、各園の園長にもお話を聞きます。
東香会、しぜんの国との出会いと、所属する園がどんなことに取り組んでいるか教えてください。
石上雄一朗(上町しぜんの国保育園 園長)
前職は小学校教諭で、上町しぜんの国保育園の採用を知り2018年に入職しました。開園前の半年間は町田のしぜんの国保育園で保育をし、ひたすら子ども達と駆け回って遊んでいましたね。
2年前に上町しぜんの国保育園の園長となりました。今取り組んでいることは、月に一度、金曜日の夜にご飯を持ち寄って、保護者も職員も子どももみんなで一緒に園でご飯を食べる「いどばた」をやっています。月に一度ぐらいは、園で晩御飯を済ませて、おうちに帰ったらあとはお風呂入って寝るだけ。そんな日があってもいいよね、という思いでやっています。
上町しぜんの国保育園は世田谷区の住宅街にあって、園の活動に割と制約があります。ただ、大きい火でどんど焼きはできないけど、七輪でできないかなと考えたり、真面目だけど不真面目なチャレンジをしていきたいと思っています。
名古屋彩佳(渋谷東しぜんの国こども園 園長)
私は2018年4月にしぜんの国保育園に入職して、渋谷東しぜんの国こども園の開園まで半年間0歳児の担任をしていました。
それまでは公立の保育園でベテランの保育者に囲まれ、指示された通りに保育をしてきたのですが、ここへ来て0歳児が、間仕切りをよじ登って向こう側に行こうとしている姿を見て、なぜ仕切りが必要なのだろう?という疑問が湧いてきました。
「これが嫌なんですよね」と私が言いながら保育室の環境を変えていたら、一緒になって間仕切りのネジを外してくれた紘良さんに感謝しています。でも今、改めて皆さんの話を聞いていると、皆さんが一生懸命作り上げてきたものを私はぶち壊していたんだなと思って(笑)。話を聞きながら、もし渋谷東しぜんの国こども園であの頃の私のような人が入ってきたら、私は当時の保育者のみなさんのように温かく受け入れられるだろうかと考えていました。
渋谷東しぜんの国こども園は個性あふれる保育者が、様々な場面で主張します。なんて勝手なこと言うんだろうと思うこともありますが、みんなの意見がもう一度考えるきっかけになるし、今まで行ってきた「まちあるき」や「こども美術館」、「フェス」などの行事を含め、今年度は原点を振り返る一年だったように思います。
野﨑亮子(ののはな文京保育園 園長)
ののはな文京保育園は今、しぜんの国保育園で保育をしていたベテランの職員もたくさんいる中で、過去の保育から大きな変化を起こしている最中です。しぜんの国保育園で培った保育をベースにしながら、職員のみんながすごい熱量で関わってくれることがとても心強く、いきいきと一緒に過ごす時間が楽しいです。
青山
私と野﨑さんは、上町しぜんの国保育園を立ち上げたメンバーでした。野﨑さんは園長だった私の話を半分くらいしか聞いていない人で、結果的にベストマッチだった気がしています。
各園の人の関係性やポジションが適任だと思うのですが、紘良さんは人のどんな所をみているんですか?
紘良
基本的には直感なんですけど…あとは素直さかな。素直が一番大事だと思っています。想定外のことがあった時に、その素直さを持って面白がれる人たちがいいなと思います。役職をもっていても、色んな視点で物事を考えられる、視点を変えて面白がれる人が多いと思います。
最後は音楽で
辻(しぜんの国保育園 マネージャー)
small villageといえば、私たちは「音楽」だと思っています。
small villageは、子どもたちがふだん歌ったり踊ったりする以外にも、さまざまなアーティストの方々が演奏してきた場所でもあります。今日はsmall villageに関わる職員たちの「しぜんバンド」と、電気グルーヴの名曲「虹」(齋藤紘良アレンジバージョン)、そして、作詞作曲・齋藤紘良の「しぜんのうた」をお送りします。
齋藤美智子さん(しぜんの国保育園 元園長)
今日は、皆さんが一生懸命やっている姿を思い出しながら、この10年成長してきたことを感じました。これからも職員のみなさんが幸せを感じながら働ける場であってほしいと改めて思いました。
美和
渋谷や上町の園ができて、しぜんの国保育園以外の職員の採用面接に初めて立ち会ったときを今でも覚えています。いつも姉妹園のこと、法人保育者のことも同時に思っています。
しぜんの国保育園が東香会のはじまりの園だから、 今日は small village10周年のお祝いという記念の日ですが、この法人のことを改めて考える貴重な時間でした。振り返ると小さなささやかなことばかりを覚えていて、たわいもない日常が今をつくっていると思っています。音楽が暮らし、私の中にあって、今日演奏した電気グルーヴ「虹」は、中学1年生の頃、ヘッドフォンで大音量で聴いていたなぁと思って、それが30年後の今、いろんな人と「虹」を一緒に演奏できるようになるんだ、と思って。これからも音楽がそばにある暮らしを大切にしていきたいなと思いました。
今日、ピクセルアートを作成いただいたhermippe (ヘルミッペ)さん、映像を撮ってくださった波田野 州平さん、ありがとうございました。
これからも末長くよろしくお願いします。
当日のイベントの様子(映像:波田野州平)