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ニューロマイノリティ 青山誠

「ニューロマイノリティ:発達障害の子どもたちを内側から理解する」編著者・青山誠インタビュー【後編】
保育以後、分断された私たちが再び出会い直すために。保育の風景に感じる希望

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2024/03/28

2024年2月に発売した書籍「ニューロマイノリティ:発達障害の子どもたちを内側から理解する」(北大路書房)。

ニューロマイノリティ:発達障害の子どもたちを内側から理解する 表紙
『ニューロマイノリティ:発達障害の子どもたちを内側から理解する』(北大路書房)
横道誠・青山誠/編著

後編では、編著者で、保育者で社会福祉法人 保育統括理事(上町しぜんの国保育園副園長、ののはな文京保育園アドバイザー)の青山誠に、寄稿作品「怪獣たちのくるまえに」の物語にあった背景や、発達障害の子どもたちの体験世界を見ることでの気づき、本書を通じて考えた、「発達障害理解」の希望や可能性についてインタビューしました。

(インタビュー・テキスト・編集:秦レンナさん)

前編はこちら

分断がなくならない理由は、多くの人の「ふつう」への思い込みから

――分断される以前の保育のなかでは、「ニューロマイノリティ」の子どもたちはどのように生きているのでしょうか?
僕は、保育というのは、暮らしがベースだと思っているんです。要は、一緒に暮らしていて、その子が何ができるかできないかという個体能力ではなくて、みんなでなにができるのか、今日1日をどう過ごしてくかということが大切で、そこには障害か健常かなんてことは実際あまり関係ないんですよね。
遊んだり食べたり寝たりケンカしたりして一緒に暮らすなかで、これがいいんだねとか、これが嫌なんだねとか、いろんな情動や要求を、揉みあい、練りあいながら、集団は成り立っていくのではないでしょうか。
しかし、保育以後の世界では、最初から集団の枠を決めて、そこに入れる子を「ふつう」とし、入れない子を「ふつうじゃない」とする。それはなんだかすごく貧しくてもったいない風景だと感じます。もちろん、保育の世界でもそうした分断は悲しいことにたびたび目にすることもあります。

――そもそも、なぜ保育以後の分断の問題はなくならないのでしょう?
やはり簡単なことではないからということだと思います。制度に関しては、2017年に「教育機会確保法」が施行されて、徐々に変化の兆しは起こりつつあるようですが、変わらないこともたくさんあります。それはなぜか。「学校とは、教育とは、こういうものだろう」という世間の思い込みによるところが大きいんですよね。「多少の我慢だって必要だ」とか、「学校じゃなきゃ学べないこともある」とか、そういう世間の「ふつう」への思い込みが、「健常」か「障害」かを問わず、多くの子どもたちの行く手を阻む、分厚い壁になっているんです。

青山誠

ズレはズレのままに一緒に暮らしていけるはず。保育の風景に感じる希望

――青山さんが本書で書いた「怪獣たちのくるまえに」は、保育園の中での子どもと保育者、その周りの人の日々の暮らしや分断について、物語という形で描かれていますね。
保育の風景というのは、すごく希望があると思っていて。マジョリティもマイノリティもなく、こんなにも違う人たちが、何てことなく一緒に暮らしている。その幸福感をそのまま価値として、社会に伝えたいと思いました。そこで、実際に上町しぜんの国の保育者たちが書いたいくつかのエピソード記述をもとにして、保育者である春子さんと、そよくんという子の物語が生まれたんです。
なぜ物語という表現方法をとったのかというと、いくら論理的に説明したところで、僕たちの見ている世界のことは、伝わらないだろうと言う感覚があったからです。詩人の萩原朔太郎が「『どういうわけでうれしい?」といふ質問に対して人は用意にその理由を説明することができる。けれども『どういう工合(具合)にうれしい?』といふ問いに対しては何人もたやすくその心理を説明することはできない。」という言葉を残しています。
保育の世界の一歩外に出れば、生産性だとか効率化だとかそんな言語が溢れているなかで、僕たちはズレはズレのままに、それでも一緒に暮らし合っているのだということを、「どういうわけで」という言葉で伝えるのは難しい。保育の価値を「どういう工合(具合)に」という言葉で伝えられないかと模索する中で、本書では、物語の可能性というものをすごく実感しました。

――保育の風景が、社会に活かされていくと、「ニューロマイノリティ」の子どもが生きる世界も変わっていきそうですね。
上町しぜんの国保育園では、毎月1回「いどばた」という、いわゆる宴会を保護者とやっているのですが、みんなで夕飯を持ち寄って食べるんですね。保育者も保護者も関係なく、みんなが当事者になって、準備したり、余興をしたり、語り合ったり。こういうことがすごく大事で、固定化した枠の中じゃなく、生まれたり消えたり、あるいは選べたり、柔軟な形の中で暮らし合うことを、僕たちはもう一度取り戻さないといけないんじゃないかなと思っています。その原風景が保育にはあるんじゃないかと思います。

――最後に、青山さんが本書の出版を経て、新たに考え始めたことや、希望に感じていることはありますか?
保育の世界では当たり前に共に暮らしていた僕たちは、個々に分断されるだけではなく、いつしかマジョリティとマイノリティに分かれ、そこには優劣まで加わってくるようになります。SNSでは、自分と違う相手に対して、すごく断罪的な言葉が投げかけられたりしているのをよく見かけますが、なぜこうしたことが起こるのか、それはおそらく、自分の当事者性をあまりわかってもらえていないとか、自分の当事者性を誰かに代表して語られたくないということがあるように思います。深く繊細な当事者性を抱えている人がたくさんいるんですよね。
そう考えると、保育のなかで「ふつう」に起こっていることを、個別的なことを個別的なままに、複雑なことを複雑なままに伝えることのできる物語というものは、論理的な言葉だけでは説明できない当事者の体験世界を、共有するための手段としてすごく可能性があると思うんです。
今後はそうしたことにより目を向けて、物語の力を借りた表現を模索し続けたいという思いがあります。きっとその中で、分断された僕たちが、また出会い直すための光が見つかるという気がするんです。

ニューロマイノリティ 青山誠

写真:大川真実(上町しぜんの国保育園)


福祉をたずねるクリエイティブマガジン〈こここ〉マガジンハウスに掲載いただきました
発達障害のある子どもの世界はどうなっている? 当事者や傍にいる大人が“内側”を綴る書籍『ニューロマイノリティ』(横道誠・青山誠 編著)

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