パパ育休を取得した新園長に聞く 東香会で働くということ【前編】
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2023/06/30
上町しぜんの国保育園は、東京都世田谷区の中央に位置する上町(かみまち)地区にある、2019年4月に開園した東香会の中では最も新しい施設です。異年齢の関わりあいのなかで、「おうち」のようなユニット編成で大家族のようにともに暮らしを紡いでいます(定員105名)。初代園長の青山誠に代わり、2023年4月に石上雄一朗が就任しました。
今回は石上に、【前編】ではどのように保育士を志し、現在に至ったかについて、【後編】では園長就任と育児休暇取得が重なった話についてインタビューしました。
石上 雄一朗 Yuuichirou Ishikami
ニックネームは「イッシー」
神奈川県の湘南エリアに生まれ育ち、現在も在住。通勤電車は考え事をする有意義な時間。3人の子どもの父。大学卒業後に、幼稚園と小学校での教諭経験を経て、東香会に中途入職。保育士としてしぜんの国保育園(町田)の非常勤を経て、上町しぜんの国保育の開園時から正規職員となり、4年後に園長就任。
「男性保育士って生活していけますか?」という学生からの質問
先日大学の授業にお邪魔した際に、学生から「男性保育士って生活していけますか?」「保育士は給与が低いと聞くけれど、将来、経済的に家族を養い暮らしていけますか?」と質問を受けました。
私は「生活できますよ。自動車も普通に買えるし、持ち家もあり、子どもを3人育てています」と答えました。そして、どれくらいの生活水準や、なりたい自分を想像しているかはわからないけれど、「自分がこうなろうと思ったらできる、生きていくと決めたらできる」ということを話しました。
質問した学生には具体的なイメージがあるわけではなく、漠然とした不安がありメディア報道などでその不安を煽られているのでしょう。事実、進路相談の際に、私たちの親の世代の人や中学高校の先生から、保育士の道を懸念されたという話をよく聞きます。そんな世間の認識を変えていきたいし、今よりも労働環境や待遇は良くしていきたいと感じました。
保育士になろうとしたきっかけは、社宅で育った子ども時代
高校生の進路選択の際、どんな将来にしたいかとあらためて自分の生い立ちを振り返ったところ、「子どもと関わることが仕事にできたら良いな」と思いました。子どもの頃は社宅(団地のような集合住宅)で育ちました。私は3人兄弟の長男ですが、近所の子どもも家族のように毎日一緒に過ごしていて、年下の子の面倒をみるのが当たり前で世話好きでもありました。
そんな子ども時代の日々が原体験にあり、保育の職を志して大学の心理教育学科に進みました。授業は心理学の実験が多くて大変でしたが、保育や子どもの発達、さらには哲学などいろいろな分野に興味を持つことができ、幼稚園教諭と保育士の資格を取得しました。
学科の50名の学生のうち男性は7名で、その中の2名が小学校の先生、5名が保育士になりました。学生時代は男性が少数ということで肩身の狭さがあり、現場での教育実習の際はそれをさらに感じました。地元の湘南エリアで実習受入先の幼稚園を探して、複数園にコンタクトしましたが返答をもらえたのは1園のみでした。当時は男性を実習で受け入れてくれる施設が少なかったのかもしれません。
幼稚園小中高の一貫校が実習を受け入れてくれて、そこに就職することができました。初めは幼稚園教諭として勤務し、その後に通信で小学校教諭の免許を取得し、法人内の小学校教諭になりました。
幼稚園と小学校の教諭を経たころに、保育士をやりたいという気持ちが湧いてきました。そこで、幼児教育や保育についてもっと学んで、外とのつながりも持ちたいと思い積極的に活動するようになりました。
そんな中で出会ったのが、上町しぜんの国保育園 前園長の青山です。当時、青山は東香会に入職する前で、保育者が集うイベントを運営していました。その頃に当時しぜんの国保育園(町田)の園長だった東香会理事長 齋藤紘良が率いるチルドレンミュージックバンドCOINNのライブをみて、保育園の園長を務めながらこんな形で外に発信している人がいるのだな、と刺激を受けました。2人と話していてすごく面白いなと興味をもちました。いま振り返ると2人に出会えて本当に良かったです。
「保育士らしさ」ってなに?
2019年4月に向けて上町しぜんの国保育園の立ち上げを進めていく中で、保育士として声を掛けてもらいました。まずは開園の半年前からしぜんの国保育園(町田)で非常勤として勤務しました。保育園で働くことは初めてで、子どもたちとの毎日はとても楽しかったです。
東香会の保育者に出会って、一般的には保育士っぽくないというか、見た目のファッションスタイルも自由で、それぞれの個人の趣味や興味の範囲も広く、外に開いているように感じました。保育者が「保育」の枠を取り払ったとしても立てているというか…また、そういった「枠」に留まるのではなく意識的に外そうともしていることが伝わってきました。
私は前職のころから現在のような長髪と髭のスタイルです。伸ばし始めたきっかけは、イスラム教徒への偏見や差別について意識したことと、ヘアドネーションをしたかったからです。はじめた当初、前職の保護者からは「品位が下がる」と指摘されたこともありましたが、「ぼくはそうは思わないです」と言い続け、1年ぐらい経つとその方にも自分のことをよく知っていただけて、そんなことを言われることはなくなりました。
この職業に限ったことではありませんが、外見も振る舞いも「保育士らしく、こうあるべき」というバイアスが存在します。その結果、自分らしくいられる人が少なくなります。自分にとっての長髪と髭はそんな世間の風潮へのアンチテーゼなのかもしれません。
保育の「先生」としてみられるか、「人」としてみてもらえるか、が大切なのだと思います。外見だけでなく当然中身も同様で、大人が「自分らしくそこに居る」という姿を、子どもたちに見てもらうことを大切にしてきました。「石上先生」ではなくて「イッシー」と自分が呼んでもらいたいニックネームでお互いを呼び合うこともその一つです。
東香会の組織はフラットで、個人個人が平等であると感じます。一般的には、上長の指示のままに右に倣えという保育士が多い中で、東香会の職員はそれぞれの思考が折り重なっていると感じました。それは同時に、発言や行動にもその人の責任があるということです。そういった面では、ヒエラルキーに守られた組織よりも、ある意味シビアかもしれません。
上町しぜんの国保育園の立ち上げ、自分たちの保育をどう作っていくか?
2019年4月に上町しぜんの国保育園が開園しました。20名の職員の約半数は法人内の他施設からの異動、もう半分は新規入職者でした。私は副主任としてスタートしました。「上町らしい保育」を作り上げていくために、みんなで地道な筋トレを続けてマラソンを走り続けるような日々でした。3年目ぐらいまでは苦しいことも多かったと思い返します。
開園当時に新卒で入職した5名は「神ファイブ(上町のカミに掛けています)」と呼ばれていて、上町で保育者のキャリアをスタートし、5年目を迎えた現在ではそれぞれがクラス担任をしており園全体を盛り上げてくれています。そうやって、みんなでやってきたことがだんだんと積み上がってきたという感覚が昨年ぐらいから出てきて、現在は次のフェーズにどう進んでいこうかという段階です。いまでも「上町らしい保育」ができていると個人として納得できたことはあまりないのですが、外部の人から「それ、上町だからできるんじゃない?」と言われたことがあって、自分たちの色が出せるようになったのかなと感じました。
園長になり2ヶ月が過ぎて
園長就任時に理事長から「一緒に施設長に成っていこう」と言ってもらい、一人じゃないと感じてありがたかったです。青山にも「おれを目指さなくて良いよ。持ち前の柔らかさとスタイルでやっていけば良い。勉強しつつ、石上くんの良さを生かしていって」とアドバイスをもらいました。保護者のみなさんにも、お祝いやお声がけをしてもらえ、あたたかく捉えていただいていると感じています。卒園児の保護者の方にも「イッシーの色で良いと思うよ」とメッセージをいただきました。開園からこれまでみんなで積み上げてきたことや振る舞いをみてくれて受け入れていただけたのではないでしょうか。
とはいえ、園長になったからといって、私の人格が急に成長するわけではありません。子どもたちと行うミーティングや絵本の読み聞かせなど、子どもたちとは変わらずに接していますが、自分のやるべき役割は変化してきました。これまでの1日8時間の直接的な保育の関わりから、間接的なことが増えてきました。保護者や職員に向けてメッセージを出すことや、園運営に関わるあらゆることの進捗管理やマネジメントなどの労務的な仕事です。まだまだわからないことばかりですが、みんなにフォローしてもらい助けられています。
学生の時や保育士として働き始めた時も、自分が園長になるというキャリアプランは想定していませんでした。いろいろな人と出会い保育以外にも興味の幅が広がっていく中で、自分も何かしなければいけないという使命感が生まれてきましたが、それでも園長を目指すとは考えていませんでした。
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