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「街は、こどもの姿をどこで見ているか」渋谷東しぜんの国オープニングデー トークセッション

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2018/11/01

9月29日、台風を前に小雨がぱらつく中開催された、渋谷東しぜんの国こども園のオープニング・デー。音楽ライブやDJ、トークセッションなど、しぜんの国らしいコンテンツで、一般の方々を初めてお迎えしました。

すでに六本木など、5つの街中の園で保育を実践する、まちの保育園・こども園代表の松本理寿輝さんと、これまで町田市の里山で保育を行ってきた、しぜんの国の齋藤理事長、そして、街の中で保育せざるを得ない環境を経験した青山誠が、街と保育の関係について議論しました。

ゲストスピーカーである松本さんからは、イタリアのレッジョ・エミリア*など、海外の保育環境についての知見を交え、興味深いお話を伺うことができました。

齋藤理事長から、原宿のような忙しいエリアにこども園を作って1年、という松本さんに、街での保育がどんなものか伺うところからトークは始まりました。

*レッジョ・エミリア:イタリアのレッジョ・エミリア市発祥の幼児教育実践方法。子どもたちそれぞれの個性を尊重し、表現力や感性を養うことを目的としている。レッジョ・エミリアでは、街ぐるみで子どもを育てるあり方が定着している。


 

自然豊かな環境の中での保育か、街の中での保育か?

齋藤僕たちは山の中でずっと保育をやってきたんだけど、まちのこども園 代々木公園ができて1年が経って、実際渋谷の街で保育する、というのはどうですか?

松本ちょっと特殊かもしれないけど、代々木公園という場所に昨年開園したんですね。ここは逆に、自然豊かな環境なんですよ。それまでの4つの園(他に六本木、吉祥寺など都内に4つのこども園、保育園を運営)は住宅街とかビルがあるような街中だったんですけど、自然が多いところでやってわかったのは、子どもにとっては関係ないんだな、と。

つまり、そこで出会う人もそうなんだけど、環境自体が街の中であろうが、あるいは自然豊かであろうが、子どもの中では分け隔てなく接してるんだな、と気づきました。

子どもが街をどう捉えているのかを知るために、代々木公園という場所で子どもと街のプロジェクトをやってみたんです。でも、(こども園の)周りの自然環境も、原宿や表参道のような、ファッションの施設があったり、オフィスがあったり、いろんな人が訪れるような場所も、違いなく過ごしていた。大人はわざわざ区画をしているけど、子どもにとってはそんなに差がないと逆に気づかされた1年でした。

まちのこども園 代々木公園のようす

齋藤確かに、広い園庭があるから幸せ、園庭が無い園の子が不幸せ、というわけじゃない。園庭があったら、そこで満足して世界が完結する保育もあり得る。でも外の世界に出ていって、どういうことができるかを考えるという選択肢もあるよね。

青山”りんごの木”(青山がしぜんの国以前に勤務していた施設)は、認可外なんですね。だから、こんな立派な園舎もなく、まして園庭なんてとんでもない。マンションの1Fでやっていたから、一歩出たら街。街で子ども達と過ごすと、気付くことが一つあって。子ども以外は流れているんですね。色んな情報とか人とか、ずーっとフローな状態。今日は二人と一緒だから横文字使ってみたけど(笑)

ちっちゃい子はベタ座りで、一緒に遊ぶ保育者も座るでしょ? そうすると、その周りを大人たちが行ったり来たりしている。街は経済活動を基盤にして、いわゆる成人のために作られている空間がすごく多いと思うんです。そういうところで、子どもはベタッと座ったり木に登ったり、一箇所に留まっているんですよ。野原に行っても同じようなことするし、街でもそうなんだけど、1点違うのは街では周りに大人がいるってこと。これにはいい面と悪い面があって。例えば、外で遊んでいると、割と年配の男性の方に怒られたりする。逆にニコニコしてくれる方もすごく多いし。


りんごの木で実践していた保育についての共著

園庭がなくていいことは、子どもの周りに保育者だけじゃないってことです。子どもの周りに一種類の人間しかいないっていうのは、人類始まって以来、ちょっと異常なことなんですよね、実は。ちょっと前だったら魚屋や八百屋がいて、酔っ払いのおじさんがいたり、ここのおばちゃんは優しい、とか、子どもが選んでいた。その多様な環境の中で子どもは放っておかれることもできて。だけど、今は子どものための人がいて、見守られているならまだしも、見張られている状態だったらね、みなさんだって見張られているの嫌でしょう? 街に出ると、子どもを好きな人もいるし、ちょっと迷惑だな、めんどくさいな、と思う人もいるわけ。でもそういう人たちも含めて、一緒にいるっていうことが、保育の内容的にも良くて。いろんな偶然性が起こり続けていく。そういう意味では、園庭がないことはマイナスじゃないし、街の中で保育することに豊かさも感じます。

しぜんの国保育園 青山誠


街や人との関わりを積極的に作る保育

齋藤街で歩いていると予想しないものに出会うじゃないですか。そうすると、保育者もその都度考えなければならないでしょ? 出会いに対して考えるのが必要。協同性って流行りの言葉だけど、そういうことが子ども達との協同性の始まりではないかと思う。レッジョ・エミリアの取り組みもそうだけど、世界的な流れはありますよね?

松本人の学びっていうのは、0からは生まれなくて、自分が経験してきたものと今経験したものをまさに再構築して、自分というものが物事を理解していく。つまり知っているものや実際にあるものを組みわせて、想像したり、思考したり、理解していく、というのがわかってきた。そんな中で、これだけたくさんの選択肢があって、いろんな価値観や考え方、アイディアを持っている人がいますよね。一つの対応にしても、優しくしてくれる人がいて、厳しくしてくる人もいる。

そういうたくさんのオプションがあるっていのは、活かそうとすることもできるし、逆に選択肢が多すぎて、保育者もすごく考えなければならないし、子どもにとってもちょっと集中が難しくなるかもしれない。周りの大人の配慮が大事になってくるし、いい面、悪い面があると思う。それを活かすのが街とともにある園だと思うんですけどね。

齋藤:それは日本だけじゃなく世界的なことなのかな?

松本日本では自然の中で育つものという感覚があるけど、どちらかというと西洋は文化の中で育つと考えているようで。例えばこうして話していて、それを楽しく聞いているとか、今いるこの社会を信じているのかどうかとか、そういうものこそが子どもの成長にとって大切と考えられている。そういう意味では街で育てるっていうのを、(西洋では)割と普通に捉えているように感じますね。

齋藤子どもたちは大人と違うものを見ているけど、彼女(齋藤の前に座っていた女児)は、我々側ではなく後ろを向いてますよね。大人が作っている表情とか、面白いものとして観察している。子どもと大人がそれぞれ何をしているかを見るのが重要とすると、みんなで同じことやることに対して違和感がある場合もあるし、逆にその状態が面白い、という状態もあるかもね。

青山いろんな解釈のある言葉だからあんまり安易に使わないほうがいいんだけど、日本では「七つまではカミのうち」という言葉があって。水とか風とか石っころとか、そういう世界に子ども達は近い、という意味。命の根源に近い存在で、根源に戻ってくるという生命観がある。だからあんまりいじくりまわすなという考え方で、自然と相性がいいと思われている。

一つ考えるべきこととしては、保育者しか周りにいないよりも、開いていった方がいいと思う。ある意味地域に返すというか。園と社会は呼吸し合うようにならないといけない。

保育所をいっぱい作って、セキュリティのために閉じてしまったら、ちょっと試験管や宇宙船の中で育ったみたいな感じになる。でも、ぽんって出されたらこういう社会が広がっているわけです。だから、呼吸し合うっていうことが大切ではないかな。

理寿輝君は、日本でレッジョ・エミリアを参考にしようと考えたとき、日本独特の難しさを感じたことある?

松本そうだね。例えば、日本とレッジョ、もっというと東洋と西洋を比べると、例えば平和観も違って、日本人は何もないことが平和って言いません? 西洋は大陸で戦争を繰り返しているから、平和は作るものと考えている。日本は、平和は”あるもの”と捉えているという違いがあって、教育や保育もそうだけど、自分たちで作りだして行くものだっていう考え方が、もしかしたら少ないのかもしれない。

まちの保育園・こども園代表 松本理寿輝さん

あるいは公共もそうですね。日本だと、幸せな社会や町は、お上が作ってくれるとなんとなく思っているらしい、と本を読んで納得したことがあったんですけど。西洋の場合、自分で主体的に関わって公共という場を作っていかなきゃいけない、という思いがある。そういう意味では、日本ではたくさんのオプションがあって、たくさんの出会いを子どもたちに提供したいと思った時に、割と待っちゃうところがある。どうやって積極的に子どもたちの興味関心を保ちながら、繋がりを作るっていうベクトルを働かせていくか。

でも一方で僕は、日本のあり方は好きで、構えていられるとか、どしっと待ってられるのは素敵だと思っているんですね。そういったこともありながら、興味関心に寄り添った繋がりを作るための工夫として、コミュニティコーディネーターを採用していて、その人は外との繋がりに専念してもらい、一方で保育者は子どもと共にある、というのを目指している。

青山だから、やっぱり園庭ないのもいいじゃん。園庭がなければ出ざるを得ないですもん。保育者も子どもも、外の空気が吸いたいから出る。どうしても出るじゃん。うるさいってお叱りもあるかもしれないけど、その中で、うちはこういうことやってるよ、という出会いがあるかもしれないし。

齋藤今日みなさんがこの園舎を素敵ね、と言ってくれてありがたいんだけど、多分、ずっと住んでいくと、素敵っていう感覚は無くなってくと思うし、ここが素敵かどうかもあるんだけど、いかに戻ってきたときにベースキャンプとなるか、ここをベースにして、また外に出かけていこう、という気持ちになれるかが大事かなと。ここで完結させたくないしできない、という気持ちで作りましたね。

 

距離感のデザインの重要性- 間(あいだ)をどう描き、豊かにしていくか。

松本建築とか、できる経緯を聞いてて思ったことと、実際に来てみて感じたこともあるんですけど、これで子どもたちを保育するのはなかなかチャレンジングだなと思った。こういう風に境界が曖昧なのはすごく面白いよね。

昔、生物学の先生と話していて、生物多様性を大事にしようと思ったら実は境界とか間(あいだ)が豊かであることが大事なんだと。例えば海と川の間、林と草原の間みたいなところが急に分断されるよりは、段階的にどっちの間なのかわかんないようなエリアがあるってことが最も生物多様性があり、先駆種を生みやすいエリアだって聞いて、面白いなと思ったんだけど。

今社会は分断されすぎていて、改めて多様性を考えた時、間(あいだ)をどう豊かにするか、どう描くかって意外にすごく重要なキーワードになると思う。保育と街とか、大人と子ども、アートと教育、とか色んなところの間に何かすごく可能性があるような気がしていて、ここきた時、街とここが曖昧な気がして、これからどうなるんだろうな、楽しみだなと思った。

青山それ理寿輝君の知り合いで誰か研究して出してほしいね。なんでも分けて、なんでも「専門家」がやるほうが、人もお金もかかるんです、実は。そう思わない? 保育園として分けてやろうとするとか、0歳、1歳、2歳と暮らす場所を分ける。ところが子どもって心が動くと体が動いちゃう。

例えば、ここで向こうが見えたら大人はちらっと見る程度。でも子どもは走って行く。走ることで空間を身体で確かめていくんですね。そこを閉じ込めようとするとものすごく労力がいるわけ。だから子どもが自然に近い存在という話に沿って言えば、川をせき止めて逆流させようとすると、ものすごく労力いるでしょ? 子どもが自然物だとしたら、子どもの自然性に逆らうのはかなり労力がいるわけです。

そこに扉を設けて入り口に一人立つ、ここで6割ぐらいの子どもを引きつける…とか。だけど、境が曖昧なら向こうに人がいて、その人に任せてしまえば済む。街と園も同じで、地域の中で丁寧に関係性を紡ぎながら、そこにてもいいじゃん、って。目の前の地べたで、建物の前で遊んでいる子がいてもいいし、駅に向かう人がいてもいいし。そういう関係性が作れたら、お互い楽なんじゃないかな。街にとってもそういう風景って実は楽なんじゃないかな、と思う。

しぜんの国こども園内部。仕切りが無い状態だと全長約65mに及ぶ細長い空間。窓の外には渋谷の路地が並走している。

齋藤今、子どもってどこにいるかと考えると、公園、保育園、幼稚園ぐらいで、街中で子どもを観に行こうと思ったら結構探さなきゃいけないし、出会おうと思ったら結構大変かもしれない。姿が見えなくても気配を感じたり、声がきこえたりすることで街の人にもその人なりの距離感ができてくるのではと思う。それが多様だなと思っていて。その中から、ぐっと入ってくる人もいればそうじゃない人もいて。それぞれの距離感を認めていくことが、その曖昧性を含めて目指したいところかな。

しぜんの国保育園理事長 齋藤紘良

青山そうそう、みんなが子どもを可愛がってくれなくてもいい。世間がみんな子どもに注目したら子どもが息苦しくて仕方ないでしょ。放っておいてくれることも大事。

松本距離感のデザインって大事ですよね。それはすごく感じる。そういう意味ではカフェがあるのは良くて、この園の中に入っちゃうと、子どもと必ず関わらなくてはいけなくなってしまうけど、カフェがあれば、何となく子どもが好きだけど、関わりるのはちょっと…っていう人もいていいし。そういう意味ではいいよね。

園の1Fにある、small alley cafe(スモール・アレー・カフェ)

齋藤そこで話が盛り上がって、お互い行ってみる? みたいな瞬間があると、もしかしたらこのこども園との関係が広がるかもしれないし、立ち話で終わるかもしれないし。


制限時間まで話が尽きない中、トークセッションが終了しました。園ができて1ヶ月。すでに少しづつ、関心を持ってくださる方との繋がりもでき始め、兼ねてから交流のあった方々とのプロジェクトも生まれています。街での予期せぬ出会い、そしてそこからも生まれるであろう色んな繋がり。この渋谷東しぜんの国こども園が、子どもたちと一緒に成長し、街の自然な風景の一つとなっていくことが、ますます楽しみです。

当日の様子は、園のFacebookイベントページでもご紹介しています。今後のイベントにもどうぞご注目ください。