[コラム]日常の持ち寄り方〜グッドネイバーズジャンボリー視察報告〜/齋藤紘良
2024/12/10
羽田空港を飛び立ってから15時間後、南九州市川辺町の山道に入り込み、レンタカーを運転しながら私は困っていた。目的地であるリバーバンク森の学校に到着したものの、入り口にいる警備員が言うには「今日はここの駐車場に停められないから、山を降りて町の臨時駐車場に停めてください。そこから臨時バスで会場までお越しください。」とのことだった。
しかたなくスマートフォンのナビアプリでその臨時駐車場を検索しようと思ったら電波が圏外で、さっぱり自分の場所がわからなくなってしまっていた。
しぜんの国の著書「すべて、こども中心。」で対談した坂口修一郎さんが主催するイベント「グッド・ネイバーズ・ジャンボリー(GNJ)」が15周年を迎え、今年を最後の開催に終了するということを聞き、思い切ってここまでやってきた。本の対談でも「次は絶対に参加します!」と言いながらコロナに突入してしまったので、インフォメーションでHAPPYENDという文字を見たときには慌ててチケットを予約した。
苦労して運転してきた山道を下る。反対車線で会場へ向かう臨時バスとすれ違うことで里の駐車場の方向に近づいているのがわかった。
やっとの思いで臨時駐車場に着き、バスに乗り込み席に着く。約1時間のロスだ。隣の乗客が窓の外の山道景色を見ながら「綺麗なところだねぇ」と吐露している横で(俺は往復見てきて3回目だ)と煮え切らない思いを抱えながらもようやくGNJの門をくぐることができた。
GNJの会場であるリバーバンク森の学校は、100年以上続いていた長谷小学校を活用しキャンプや川遊びなどの自然体験複合施設として開放されている。
GNJでは小学校の校舎、園庭、そしてわきを流れる小川のほとりを使い、音楽ステージやトークショー、DJ、出店、ヨガなどといったブースが用意されていた。鹿児島や地元とのゆかりの深い飲食店が並び、自前のテントやイスを広げるスペースで寝そべっている人々。木々の周りには子どもたちが夢中になるツリーハウスやアスレチックなどが設置されていて、大人も子どももリラックスしながら敷地内で緩やかに時を過ごしている。
15年も続けていると初回から参加している子どもはすでに中学生。毎年楽しみにしている年中行事になっていることだろう、この場所を我がもの顔で縦横無尽に走り回る常連の子どもが多くいる。…..いや、子どもはどこでもすぐに走るから今年が初参加かもしれないな。どちらにせよ、この場所が彼らにとっても自らの場所になっているということだ。
子どもがリラックスしていると大人もリラックスする。そして大人がリラックスすると子どももリラックスする。どちらが先か。私も早速、森の中のステージへ向かいベンチに腰を下ろし、DJパフォーマンスを聴きながら本を読むと次第に心がほぐれていく。背後では、川遊びで遊ぶ子どもたちの声が森の中にこだまして心地よい。
「そっち行くと濡れちゃうから、ほら、もうおしまい。」
「お魚さんかわいそうよ。」
「そこ飛ぶのやめーめーて。怪我するから。」
大人たちよ、大丈夫。君たちも昔やっていたことじゃないか。
ちょっとだけ人生の先輩ぶった心境になるのはどうしてだろう。普段は気恥ずかしくてそういう気持ちは心に押し込めているのに。
永遠に森の中での浮遊感に浸っていたかったが、主催者である坂口さんのトークセッションが室内で始まる。私は坂口さんの話をこの場所で直接聞くために東京からやって来たのだ。
木造校舎では、坂口修一郎氏(グッドネイバーズ・ジャンボリー主催)、中原慎一郎氏(ランドスケーププロダクツ・ファウンダー)、九法崇雄氏(KESIKI主催)による鼎談「ジャンボリーの景色、これまでとこれから」が始まっていた。
GNJの立ち上げからこれまでの15年間の歩みを聞いていると、途方もないエネルギーとバイタリティーをもって坂口さんたちがこの取り組みに向き合っていたのがよくわかる。
個人的には鹿児島の人たちはこのエネルギーとバイタリティーの爆発力が地域性でもあるなと感じている。薩摩藩の爆発力や古くは隼人民族の抵抗力も頭にちらつく。友人たちの中でも、鹿児島出身の方々が飄々としながら勇ましい歩みで私の前を通っていく瞬間を何度も見てきた。
この3人からも同じくそれを感じ、そして、この15年の間にGNJの爆発力に吸い込まれた多くの同士が生まれ、一気にフォロワーが増えていったのだという高揚感が伝わってくる。
鼎談の後半、坂口さんの口からポロっと漏れてきた言葉。
「なぜ今回で最後なのか、やっぱりみんな知りたいところですよね。」
そうそう、知りたいですね。やっぱり続けることってある種の希望だと思うので。
と、私の内心も知りたがっている。坂口さんは、堰を切るでもなく重々しくもなく、ただスーっと語り出した。
今後もきっとGNJを開催することはできるし求められているけれど、GNJの始まる前は、取り壊される予定だった長谷小学校がいまや森の学校として日常的に様々な活動で使われる場所になった。僕がやらなくても十分に面白いことが起きる場所になっている。だから、これからはそれぞれがそれぞれの大切な1日をこの場所で作り上げていけばいい。GNJはここで一度ハッピーエンドを迎えるけれど、このリバーバンク森の学校はこれからも誰かにとっての場所であり続けるよ、ということだった。
私は、坂口さんの言葉は日常の持ち寄り方を投げかけているのだと思った。GNJは確かにケ(日常)を晴らすハレ(祭)の日だったけども、森の学校がGNJのタイアップイメージ以上の使われ方をしている現在、ここでハレを作るのはGNJだけじゃなくて関わっている一人一人なんだということ、それぞれの日常を持ち寄って、それぞれのハレの日を考えること。
鼎談が終わってからも、私は会場をゆっくりと歩き回りながらぼんやりとこの日常の持ち寄り方のことを考えていた。
鼎談を終えた坂口さんは、小学生たちとブラスバンドの演奏をしたり、自らのアンビエントバンドで演奏をしたり、と大忙し。会場の渡り道ですれ違ったときに「全部に出演してすごいですね。」と私がいうと、「みんな俺のことをこき使うんだよ(笑)」と返しながら颯爽と次の現場へ向かっていった。主催者が一番楽しそうじゃないか。だからみんなも楽しそうなんだ。
日も暮れ、出店の甘酒チャイが美味しくて2杯目を飲んだ頃に、GNJのハイライトである「otto&orabu」の準備が賑やかになってくる。彼らは障害者支援センターしょうぶ学園のメンバーで構成されたビッグバンド。YouTubeでは観ていたけれど実際にパフォーマンスを見るのは初めてだ。
最初の音が鳴ると、会場の期待が膨らむのがわかる。その呼吸に吸い込まれるように私の胸も膨らみをもちはじめる。
打楽器と掛け声が掛け合わされて独自のリズムが調和すると、えも言われぬハーモニーが聴こえてきた。しかしこれは音符の和音ハーモニーではない。人間特有のにおいや気配や熱量のハーモニーだ。人間としての喜びがピリピリと舞台や客席、そして舞台の裏側などを駆け巡る。
血ではない。だけども出演者の身体に流れている何かがほとばしる。私の中の”何か”も、いよいよほとばしる。みぞおちの高揚感に背中を押され、思わず私はダンスをした。辺りを見回すと観客の多くがそれぞれ顔を赤ながらダンスをしている。みんなステップはバラバラだ。だけども誰もが通奏を感じて踊っているようだった。
このまま踊りながら死んでもいいかもな、というような夢見心地のままアンコールがはじまり、そして蝋燭が消えるようにフッとotto&orabuの演奏は終わった。
文/齋藤紘良(社会福祉法人東香会 理事長)
Information
齋藤紘良が共著の書籍「園外・まち保育が最高に面白くなる本」が風鳴舎より2024年12月2日発売されました。
全国私立保育連盟 研究企画委員会 保育・子育て総合研究機構に齋藤紘良と評議員 トクマルシューゴさんの「令和3年度委託調査研究・研究成果報告書②」研究成果報告書が掲載されています。
・「子どもと芸術『乳幼児の創造性への影響とその還元』」(共同体編)(PDF)
齋藤紘良/社会福祉法人東香会理事長
・「子どもと芸術『乳幼児の創造性への影響とその還元』」(個体編)(PDF)
トクマルシューゴ/音楽家